わようこんごう
霧菜 楓
「っとに、いい加減言いなさいよ!」
兵庫県警のとある取調室で敏腕と畏怖される女刑事の罵声が飛んだ。
相手は連続放火犯の二十五歳無職の男。
しかしその身なりは一流企業のサラリーマンに見える。濃紺のスーツに、派手すぎない小さなチェック柄のネクタイを締め、眼鏡を押し上げる姿はインテリそのもの。態度も淡白というか冷静で、どんなに事実を並べて証拠を突き付けても犯行を認めようとしなかった。
相手をしている刑事――間宮奏は疲労を隠せない様子で大きな吐息をつく。
「あなたねぇ、目撃者もいるし、あの日の夜のあなたのアリバイはないのよ」
「でも、その目撃者は僕が火をつけるところを見たのですか?」
「・・・・・・・・・」
「どうせ、火のついた現場から出てきたのを見た程度で、火をつけたところを見ていない。そう言ったところでしょ」
こばかにしたような笑みを浮かべて彼は自信有り気に、机に身を乗り出す。上目使いで見上げられ、奏は眉をひそめた。
落ちないし反論してくる相手に、奏の我慢は限界に近い。
物的証拠はあるのだが、それを切り札にするにはもっと容疑者を追い詰めないと自供には至らない。ここで切り札を使うと物的証拠のこまやかな盲点を確実についてくる。
(これだから最近のガキは嫌いなのよ。悪い事を悪いと認めない。往生際が悪いわ)
頭痛と欠伸をかみ殺すと奏は目を伏せた。
「ねえ、刑事さん?」
彼は反応が欲しくてねちっこい言葉をかけてくる。
だが、奏は目を伏せたまま答えない。
男は手持ちぶたさになったのか部屋のすみでペンを走らせる男に目をやる。
「やだなぁ、きったない字」
調書に書かれた字を眺めてけらけらと笑う。字の主は何か言いたげに奏を見たがそれすら無視して彼女は黙る。
そして、沈黙。
彼も彼女がやろうとしていることを悟り、男の相手をしなかった。
こういった容疑者は相手を言い負かす事。つまりかまってもらうことを快感としている。
だからかまってもらえなければ、勝手に話し出すのだ。
色んなことを。
「僕漢字検定2級持っているの知ってる? 気とか、飛とかきちんとした書き順で書ける?」
饒舌になりはじめた男に奏は内心笑みを刻んだ。
「最近は和洋混同しちゃって日本人の心を忘れているよね。グローバルとかインターナショナルとか」
まだだ。もう少し。
「じゃあ、問題。これが解けたらあなたが言いたい事話してあげる」
問題と言われて奏は舌打ちした。
(よりによってゲームを楽しむなんてっ! 時間がないってのに!!!)
と腹立ててみたが、せっかく相手が口を開きかけたのだから切り捨てるわけにもいかない。
「問題って?」
焦る気持ちをおさえて奏は聞き返す。
すると男は嬉しそうに顔をほころばせ、ペンと紙を要求した。
若い刑事からボールペンと、自分のポケットからお昼ご飯に買った弁当のレシートを手わたす。
紙がレシートだということに不満そうだったが、さらさらとそれに三つの漢字を書き始めた。
「はい。これの意味がわかったら話してあげる」
語尾にハートマークがついたような気がしたが、レシートの上に書かれた三つの漢字に意識を集中させる。
「『一』、『昇』、『黙』」
奏がレシートの書かれた漢字を読み上げた。意味がわからず、若い刑事を首を傾げあうのを嬉々とした目が見つめる。
「そう。それが解けるほどの切れ者がいるとは思えないけれど。どうぞ時間は無制限だから」
(いちいちむかつくのよっ!)
キッと男を睨みつけ、奏は席を立つ。
「先輩、どうするんですか?」
不安げに見上げる後輩に厳しい表情を和らげて彼女は深い笑みを向ける。
「大丈夫よ。こいったものは旦那が得意だから」
「あ、耕平さんですか?」
「それにうちの息子もなかなか切れるしねぇ。どうしているのかな、まだ九時だから寝ていないとは思うんだけど。寝顔ぐらいはみれるかな」
母親の顔で息子の事を語る彼女に、後輩はぽっと頬を赤らめた。
「まってなさい、すぐにはなをあかしてあげるから」
戦線布告を残して彼女は取調室を出ていった。
とりあえず無駄だとは思うが奏は同僚に暗号の解読を任せてみる。
あーでもないこーでもないと唸る同僚たちを尻目に、彼女は自宅の電話番号をプッシュした。
『はい、間宮ですけど』
数回のコール音の後、眠そうな声が電話口に出る。
「あ、まーくん」
甘い声に周囲の同僚は驚いた様に彼女を見た。あれが敏腕の女刑事と恐れられている間宮奏なのかと疑う。
『なんだよ、おばさんか』
「お母様でしょう? まーくん。そんなに私の手料理が食べたいのぉ」
『い・・・・いえ。なんでしょうおかあさま』
「そうそう、素直なのが一番よ。ところでお父さんにかわってくれない」
『親父に? さっきコンビニに出かけたけど。なあ』
電話の向こうで弟の早太が面倒に肯定する。
「えー、そうなの。だったらたっくんに代わって」
『ああ。おい代われってさ』
早麻がリビングでくつろいでいる早太を呼ぶ。がさがさと雑誌を片付ける音がして先程よりも少し声の低い弟がでた。
『はい、かわったけど。なにか事件』
「相変わらず鋭いわね。だからたっくん好きなのよ」
もし、この場に彼がいたならその頬にキスをしているだろう。
早太は嫌そうに眉をひそめたが、それは電話なので悟られることはなかった。
「そうなのよねぇ―。いま取調べしているんだけど、被疑者の男がなかなか切れ者でね。問題出されたの」
『問題?』
「そう、漢字のいちに上昇のしょう、そして沈黙のもく」
『一に昇に黙か』
「何の事だかわかる?」
『今のところはわからないな。なにかそいつ言っていなかった?』
「んーっと、いきなり漢字検定がどうだの和洋混同がどうだのとか言っていたけど」
『漢字検定と和洋混同か』
「わかる?」
不安そうに尋ねる奏。
『少し時間をくれないか。携帯の方にかければいいんだろう』
「わかった、こっちでも解いてみるけど・・・・・期待しているわよたっくんとまーくん」
愛すべき二人の息子に謎を託して奏は電話を切った。
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