時間(とき)
                        むむむさん



 その日の俺もいつもと変わらず、朝から同じ電車に揺られ、毎日車内で顔を見合すだけの知り合いを横目で見ながら、駅に着くとそそくさと階段を駆け降り、数分歩いていつも見る会社のロビーを通っていた。
「あっ、部長。おはようございます。」
「ああ、大崎君。今度のロンドン支社の件、期待しているよ。ここらで君の腕前を他の部の奴らに見せてやってくれ。」
「ありがとうございます。頑張ります。」
「今回の仕事は、この会社のグラフの傾きを変える大事な仕事なんだ。是非とも頑張ってくれたまえ。」
「はいっ。」
 俺の名前は大崎周一。今、まさに世界を又に掛けようとしている、コンピュータ企業の本社に勤めている。世間で言う一流大学へも順調に入り、就職活動を経てこの会社に入社したのが、十二年前。そして課長になって六年。それらの出世というのも、すべて一流大学という肩書きと今の部長のおかげだ。俺が係長になった時、周りの反応は冷たかった。俺より年上の奴が何人も部下にいた。しかし、皆、俺の仕事の腕は認めていたようであった。実際、自分でも自分がこれほどまでに仕事のできる奴だとは思っていなかった。ゆくゆくは、部長のデスクを貰い受け、旨くゆけば社長。いや、たとえそれが無理であっても、副社長の座はほぼ確実だ。そんな鉄のレールが俺には引かれていた。そう、俺は何もかもが、うまく行き過ぎていた。



 夕方からの会議が終わって、会社を出ると日もすっかり暮れていた。改めて、秋分という行事を感じてしまう。もう十月も半ばだった。電車の窓から空を見て、月を探したがどうやら雲に隠れているらしくどこにも見当たらなかった。それとも、今日がちょうど新月なのだろうか。
 家に帰ると、妻がいて夕食を作っていてくれた。
「今日も遅かったのね。」
「ああ、会議が長引いてしまってな。明日は多分早く帰れる。」
「そう、よかった。あなたは何か最近働きすぎで疲れてるみたいだったから。」
「えっ、俺が、そうか?」
「あなたって、本当に仕事が好きなのね。まっ、でもあんまり無理しないでよ。」
そう言って俺はいつものように夕食を食べた。確か、さんまか何かの焼き魚だったと思うが、あまりはっきりと覚えていない。やはり最近疲れているのだろうか。
 まだ妻が一階で洗い物をしているのは分かっていたが、部屋に入るとどっと疲れが出てきて、俺は眠たくなってきた。そして、下から聞こえてくるテレビの音が耳をすませば聞こえてくる。そして、ベッドに横たわっているうちに、俺は眠りに落ちた。テレビのニュースで今夜が新月だということを言っていたような気がした。



朝起きると、妙にすっきりしていた。疲れは完全に取れたようであった。
「新聞は?」
「そこの、椅子の所、あるでしょ。」
俺は、いつもの様に新聞を見たつもりであった。だが、俺は違和感を感じた。しかし分からない。何かがいつもと違う。そんな気がした。
「明日は土曜日だから、久々に映画でも行こうか。」
「えっ、明日は日曜日でしょ。土曜日は今日じゃない。」
「はあ、何を言っているんだ。今日は金曜日じゃないか。」
「金曜日?あなた、やっぱり疲れてるんじゃないの。お医者さんにでも行ったら。」
妻の顔があまりにも真剣だったので驚いた。そして、新聞を見ると確かに二〇〇一年十月十八日土曜日と、書いてあるのに気づいた。
・・・なぜだ?昨日は確かに木曜日だった。いや、俺の勘違いなのか。そんなことがあるのか。どうなっているんだ。違う、昨日は木曜日だった。これは確かだ。会議の日程を手帳に書いていたはずだ。と、すると、眠る前の俺は木曜日に眠った。そして、目覚めた俺は土曜日に目覚めた。と言うことは、俺は金曜日の間ずっと眠っていたのか。妻に聞いてみようか。しかし、怖い。とりあえず、今日は土曜にとして過ごしてみることにしよう。 「いってらっしゃい」
いつものように妻に見送られ、会社に向かう。・・・そう、いつものように。空は晴れていた。世間はこれを快晴と呼ぶ。空を占める雲の割合がどうのこうのということらしいが今の俺には、よく分からない。そうだ、これは夢かもしれない。俺はまだ眠っている。おそらく十二時を回り、すでに金曜日になっているのだろう。しかし、夢から現実へと目覚める方法がわからない。いつもはどうやって目覚めていたのだろうか。すでに現実へと目覚めている人間に起こされる場合もある。また、自然に起きてしまう場合もある。前者のことがあれば、俺はこの夢から逃れることができる。だが、問題は後者の方だ。自然に、とはいったいどうすればいいのだろう。おそらく待つしかないのだろう。しかし、そういった話は全て、この今の俺の意識が存在している場所が夢の中であると仮定した上でのはなしである。もし、ここが現実の世界ならば、俺は今のこの状態をそのまま受け止めなくてはならない。今日が土曜日であるという現実を。
 今日は、まさしく土曜日だった。会社も昼頃には終わった。皆、今日という日を普通に受け止めていた。今日に疑いを抱いているのは俺だけであった。
 やがて、夜が訪れた。今日も、いつもと特に変わりなく時が流れた。いつもなら、もう寝る時間である。しかし、寝るのが怖い。しかし睡眠欲だけは体の中にあるのだ。・・・俺は、いつしか眠っていた。夢の中でさらに寝ている可能性もあるのだが。

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