朝が来た。この朝はいったい、いつの朝なのだろうか。真っ先に朝刊を見に行った。まだ、妻も起きていない。それもそのはずだった。一階にある掛け時計は五時ちょうどを指していた。ひと月前ぐらいまえまではこの時間でも明るかった朝だが、この季節になると夜中のように暗い。
 そして、俺は新聞の日付を見て愕然とした。・・・二十日月曜日。また、俺の中に空白の一日ができた。俺は、心の中では今日が金曜日であることを期待した。しかし時間は俺の胸中をよそに進んだ。いったいどうなっているんだ。今日こそは妻に聞こう。しかし、妻はまだ寝ている。あと一時間半もすれば起きてくるだろう。それまで散歩でもしていようか、本でも読もうか、さまざまな行動パターンが浮かんだが、その中に妻を起こすというものはなかった。そして、特に何も考えるでもないと言うようなうちに、ふっと、俺は眠ってしまった。確か、ソファの上で横たわったはずだ。
 また、朝が来た。俺はベッドの上に寝ていた。と、すると、俺の頭の中に一つの考えが浮かんだ。急いで階段を駆け降り、朝刊を見た。
「やっぱりだ。」
独りでそう呟いたと思う。朝刊の日付は十月十七日金曜日。やっと俺は悪い夢から覚めたのだ。しかし、たかが夢から覚めただけではないか。そうはいっても嬉しかった。まだ、時刻は早かったが、着替えて会社に行く用意をしようと思い、部屋へ戻った。そうして、気分爽快の面持ちで着替えようとした。しかし、その時。
「何だ。」
俺は思わず声をあげた。俺の右腹にキズがある。それほど大きくはないが、はっきりと分かる程ではあった。
「こんなキズは無かったはずだ。眠っている間にできたのか。そんなことがあり得るはずもない。」
・・・はっ、盲腸。そうだこれは盲腸の手術跡だ。幼いころ友人に見せてもらったことがある。しかし、なぜこんなものが。
 やがて、妻も起きだし、すでに目覚めている俺に気がついた。
「あら、早いのね。どうしたの。」
「おい、俺の腹を見てくれ。ここだ。これ、手術の跡じゃないのか。何故俺にこんな物があるんだ。」
俺は妻の肩を揺らして叫んでいた。
「どうしたの。あなた四月に手術をしたでしょ。覚えてないの?」
妻の目は潤んでいた。それ以上に俺はショックを受けていた。
「四月に手術。俺はそんな物してないぞ。何言ってるんだ。」
そういった俺自身も、夢やら現実やら、もしくはそれ以外の世界を味わってきたのだから再びおかしなことが起こっているのではないか、という不安でいっぱいだった。今、妻に言った事も、自分自身に無理やり自己のわずかながらの願望を押しつけようとした結果だったのかもしれない。
「あなた、どうなってしまったの。」
妻のうろたえをよそに、俺はもう一度新聞を見に行った。俺には自信がなければならないはずだった。しかし、俺には分からなかった。五分五分。いや、俺の自信はもっと不安に負けていたのかもしれない。
「・・・、やっぱりそうだ今日は二〇〇二年十月十七日金曜日だ。」
勝った。確かにそう思った。俺は間違ってはいなかったのだ。
「ん?」
しかしすぐに俺の考えが間違っていたことに気付いた。二〇〇二年。一面を見るとヤクルトの優勝が載っていた。今年のペナントはかなりもつれたらしい。俺が前に寝たのは昨年のいつだったのか、その時には巨人の優勝がすでに決まっていた。そして、さらに妻の発言からすると今年の春に俺は盲腸の手術をしたことになる。つまり、俺は一年間眠り続けていたわけではないのだ。ただ、記憶だけが丸一年飛んでしまっているのだ。
 俺はいつも通り会社に出た。妻を安心させるために、少し寝ぼけていたと言ってきた。街の景色はそれほど変わっていなかった。毎年この季節にだけ訪れる、夏を過ごした後には少し肌寒い風が吹いている。読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋等と言われるのはこの風のせいかもしれない。俺はそんなに爽やかになれる気分ではないはずであったが、俺の心の中は透き通っていた。次に眠った時、いつ目覚めてくれるのかわからない。そんな不安がなくてはならないはずなのに、そういったものは透き通った心の芯においやられた心の殻と化していた。
 家に帰ってもいつもの生活だ。今朝のことが笑い話となって夕食の話題にのぼる。何も変わらぬいつもの生活。もしかすると、これが普通なのかもしれない。人間は眠ると、たいていの記憶はなくなるものなのだ。しかし、その記憶がなくなったことさえも忘れて生き続ける。人は、そういうものなのかもしれない。今までの俺は、一般人よりも特別に脳の質が良くできていたのかもしれない。だから、中途半端に記憶があって、忘れることを忘れていた。今朝から気分が悪くなかったのも、この考えがあったからなのだろう。しかしそこまで考えることができるのだから、俺の脳はまだまだその質の良さを保っているのだろう。



そして、俺は眠った。次に起きるのはいつだろう。いや、俺は毎日起きては会社に行き、帰って、眠っているのだ。そんな繰り返しで、多くの月日が流れて行くのだ。人生を歩んでいるのは、おもに人間としての俺の身体であり、俺という俺は、つまりあえて人間の言葉でいうなれば俺の意識は、人生をこのような感じで過ごしているのだ。俺にとって、大崎周一が全てではない。彼は、俺が楽しんでみた人間という通過点なのだ。いや、必ずしもそうとは言えずに到達点であったとしても、俺は彼であり、彼は俺であるという両者は成立しない。ただ、確かに彼は俺であった。そういうものなのだ。
 そうして、俺は目覚めた。どうやら、大崎周一は亡くなってしまったのだろう。あたりは、真っ暗というのか果てしなく明るいというのか、そういう感じであった。そのなかで、俺は人間の頃のあの不思議な出来事は、毎日を単調におくり、ほとんど変化のない時の流れのなかで生じた時空のずれが生み出した現象だったのだと、今になって明確に認識できた。しかし、それについて後悔するということはなかった。ただ、いったい今がいつなのかは、新聞がないのでわからなかった。


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