「わからない事ばかりだよ」
 事件から一週間ほど経って、私は改めて、会社の帰りに『海の家』を訪れた。
 今回の事件に関して、私が抱いている疑問を全て解決してもらう為だ。
 あの後、さっぱり状況が飲み込めずに混乱する私に、守谷は、とりあえず、これで影和邇はもういなくなったのだと説明はしてくれたのだが、それでもまだ、私の中には数多くの謎が残されている。
「どうして、最初に僕の名刺を見た時に、二人とも僕が出雲出身だと思ったのか、そして、何故僕が影和邇に関係しているのか、他にも、僕にはわからない事ばかりだけど、その二つだけは訊いておきたいんだ」
 確実に、これをきいておかなければ始まらない疑問を、私は守谷に尋ねた。
 彼は、いつも通りの笑顔で、私の質問が終るのをじっと待ってから、表情を変えずに、それに答える。
「そうですね・・・、最初に気付いたのは、一条さんの名前を見たときです」
「僕の名前に?」
 意外な答えに、私は首を傾げて、目の前の穏やかな顔の青年を見た。
「一条さんの名前は、蛟を治めると書いて、蛟治・・・『みはる』と読みますよね。その名前は、古来よりある一族の長にのみ許される名前です」
「一族?」
「遥か昔より、この国に住む、特殊な力を持つ豪族。八又の大蛇・・・と、この国の古い神話には書かれています」
 八又の大蛇。
 その名前を聞いて、私は酷く驚いた。
 聞いたことがあると言うよりは、昔話の好きな子供なら知らないものはまずいないだろうと思われる名前だ。しかし、八又の大蛇と言うのは空想の産物ではないのか。
「八又の大蛇という怪物自体は、確かに物語りの中にしか存在していません。しかし、実際は、遥か昔出雲に住んでいた、八又の一族と呼ばれる、八つの家からなる、蛟を崇め、その力を借りる、古代宗教の司祭の一族なんです。勿論、司祭といっても、特殊な力を持ち、それを行使する事の出来る者は限られていましたが」
 日本神話が書かれる以前の話まで遡られ、私は少々眩暈すら覚える。まさか、そこまでスケールの大きな話だとは思ってもいなかったからだ。
「しかし守谷くん、八又の大蛇は退治されてしまったんじゃないのか?」
 私の再三の問い掛けに、守谷は確かに頷く。
「全てが退治されたわけでは有りません。それに、あの当時、一族を取り仕切っていたのは、正式な長では有りませんでしたから」
「正式な長ではない・・・?」
「ええ。当時、一族内での揉め事があり、本来の長は、自らの家族と共に村を去りました。そして、残った者たちが、豪族とは名ばかりの無法者となりかわり、そして、隣村の豪族に滅ぼされたのですよ。後に伝承となったのは、その争いが元となっています」
「・・・生き残った長は・・・?」
「運がよろしかったのでしょうね、長の一族は、全ての時代において支配者から逃れ、争いや戦、災厄ともほぼ無縁の状態で今に至ります。けれど、閉鎖的な風習の中、一族は次第にその数を減らしていき、ついに今から二十五年ほど前に、最後の純粋な長の血縁者が死んでしまいました」
「・・・・・・」
「一条さん、あなたのおばあさんが、その最後の一人です」
 どうにも、信じ難い話だった。
 私の祖母は、なんと有史以前から続く由緒正しい古代宗教の司祭の血を引いていた。そして、その孫である私は、一族の長のみが引き継ぐ名前を、祖母から直々に名付けられた。
 つまり、私は、最後の純血種に選ばれた、最後の長、ということになる。
 俄かには整理しきれない話だが、それでも、幾つか合点のいく話もある。例えば、祖母が話してくれた沢山の昔話。
 あれは恐らく、彼女が出来る限り、私をそれらから護ろうと話し聞かせてくれたのだろう。
「影和邇は、昔から、一条さんのご先祖だけでなく、水の眷属全ての天敵でした。あれは、見境無しに人を喰らうのですが、格別に、蛟に連なる者の御霊を好む性質がある。かく言う私も、今回ばかりは苦戦しました」
 魂を喰らわせてはいけない。一族を滅ぼしてはいけないと、祖母は必死になって、私に、危険を及ぼすあらゆる物を避けるように教えていたのだろうと、今になって思い返す。
「まさに、君の力と、祖母の知恵袋が、私を助けてくれたんだな」
 私は、守谷が話す現実離れした話を、言葉どおりに受け取っておく事にした。
 恐らく、彼が話している言葉は、全て言葉どおりに受け取らなければいけない言葉だ。深く考えようとすると、途端に違う意味のものになってしまう。
 人間は最近、全てを深読みしようとしすぎている。だが、たまにはこうやって、語られる言葉そのままに、受け取らなければいけない言葉もあるのだ。
「でも、守谷くんは本当に色々な事を知っているな。もしかして、私の祖母とも面識があったりしてね」
 最後に、私は何気無く、冗談混じりに守谷にそう言った。
 すると、目の前に座る歳若い男は、片眼鏡の奥にある目を丸くして笑う。
「覚えていませんか?あなたが海で取ってきた魚を焼いていたのは私なんですよ」
「え?」
 沈黙する私に、守谷はにこにこと笑ったままの顔を崩さない。
「私も、最初は忘れていたんですが、ついこの間思い出しました。瀬戸内の、おはるばあちゃんと、そのお孫さんのことをね」
 その笑顔は、冗談など何一つ言っていないと、無言で語っている。
 私は、守谷の笑顔を前に、ただ笑うしかなかった。
 この世には、まだまだ不思議な事がたくさんあるらしい。
 また今度、この店に来てみよう。
 次は、この、一見歳若い不思議な店主から、懐かしい昔話でも聞こうと考えながら、私は一人、家路についた。
 残暑厳しい、夏の事である。


注意・この物語はフィクションです。
実際の日本神話とは一切関係有りません。

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