あの女の人にぶつかってから一週間が過ぎた。
 あの時から、私の日常にあの女の人が入りこんできた。なんだか妙に頭から離れない。まず、この一週間ほぼ毎日のように夢に現れる。それは、不思議な夢だった。私は、見たこともない、不思議な場所に立っている。そこは、何だかすごく広くて高い‥‥おそらく、その辺にあるビル以上に高い場所だった。辺りは薄い霧で包まれていて、視界が悪い。空気は暖かくて、心地いい。下のほうに、様々な明かりがぼんやりと光っている。そんな、きれいで、静かな空間だった。
 しばらく、私は一人歩いている。何だかとても気持ちがいい。しばらく歩いていると、向こうのほうかに誰かがいるのが見えた。少しずつ近づいていくと、それはあの『電車の人』だった。その人は、柵にもたれて、下の風景を眺めている。すごくきれいな横顔だった。
 もっと近づきたいと思った。すぐそばに行こうと思った。そして、一歩一歩歩み寄ってみた。心地よい風が吹いている。風が私の髪を乱していく。『電車の人』の茶髪もなびいている。その時だった。
「くすくすくすっ」
すぐ近くでクスクス笑いが聞こえた。それに反応して、身体がぎゅっと緊張する。
「くすくすくすっ、くすくすくすっ、くすくすくすっ」
そして、
『ガシッ』
突然、誰かに手首をつかまれた。驚いて振り返ってみると、そこにはあの女の人がいた。すごく冷たい雰囲気だった。慌てて『電車の人』を見る。でも、何事もなく下の風景を眺めていた。まるで、周りで起きていることに全く気付いていないようだ。落ち着いた横顔。
 だんだん、女の人の手に力が入ってくる。手首が痛い。締め付けられていく。雰囲気だけではなく、手の感触も冷たい。
 怖い。



 目が覚める。何とも言えない疲れが残る。女の人のクスクス笑いとつめたい手の感触がまだ頭に残っている。
 昼間は昼間で、あの人に似た女の人を見ると、身体に緊張が走る。電車の中で、『電車の人』を見ていた時、目の前を女の人が通り過ぎた。長い髪がサラサラとなびいている。ハッとして、慌ててその人を見る‥‥別人だった。



 屋上にいた女の人は、ずっと俺の頭の中から離れてくれない。何だろう?この感じは。単なる好奇心にしては、その人のことを考えすぎている。一般的にいう、恋愛感情とも少し違う。何か、他のことを考えようとすると、それを邪魔するかのように頭の中に現れる。そんな感じで、俺は一日中その人のことを考えていた。大学で講義を聴いていても、その人のことを考えている。サークルに出ていても、その人の姿が頭の中にチラつく。バイト中も頭の中にはその人がいる。何をしていても、誰といても、その人は頭の中から離れない。俺は、この不思議な現象を恐ろしいとさえ思うようになっていた。何か普通の日常生活が崩れていくような気がしていた。
 何かが近づいているような気がする。自分の日常生活に幾分かの変化をもたらすような。それが、いいものなのか、悪いものなのかはわからない。ただ、何となく気になっていた。
 頭の中に、あのクスクス笑いが響いている。何だか、その声はとまどっている俺を笑っているようにさえ感じる。イライラするほどの緊張感。これから、何がどうなるのか?俺には全く予想ができなかった。


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