電車に揺られながら、ぼんやりと景色を眺めていた。昨日のあの女はなんだったのだろう?昨日は、あの後すぐに屋上から降りた。『降りた』というより、『逃げて』しまった。俺が屋上のドアを開けた時も、まだその人は笑っていた。夜空に響く、すごく冷たい笑い声‥‥。今日も屋上にいるのだろうか?今日はバイトがないので、わからない。何となく、あの人が夜の屋上で一人、笑っているところを想像してみた。ひどく哀しい光景だと思った。秋の夜の寂しい一人笑い。もしかして俺は、あの時逃げずに、屋上に残るべきだったのかもしれない。
 その時、肩のかばんがずれた。肩にかけなおそうと振り向いたら、一人の女子高生と目があってしまった。大学の近くにある女子高の制服。どうしていいかわからず、あわてて目をそらす。頭の中では、まだあの冷たい笑い声が響いていた。
 電車が大きく揺れるたびに、つり革を持つ手に力が入る。窓の外はもう暗い。電車の窓に自分の姿が映っている。明るめのチェックのシャツは、暗い窓によく映えていた。今夜もきれいな月が出ている。昨日よりも微妙に太った月。あの人の姿が頭をよぎる。何となく、頭から離れなかった。



 こういう偶然は何だか嬉しい。放課後、美那子と一緒に駅のそばの百貨店に入った。本屋のそばを通った時、雑誌を立ち読みしている『いつもの電車の人』を見かけた。一人かな?ここで会えるとは思っていなかった。電車以外の場所での、その人の日常の一コマ。自分の顔が笑顔になっていくのがわかる。
「何、にやついてんのよ?」
そう聞く美那子の顔もにやついてきた。美那子のテンションが上昇していくのがよくわかる。顔に満面の笑顔が浮かんだことから、どうやら、テンションが絶好調に達したらしい。何か、コワイ‥‥
「ねぇ、さっきあの人見てなかった?見てたよねぇ?あの人でしょ?ほら、あそこにいる人!」
事態はまずい展開になってしまったようだ。美那子が騒ぐから、かなり恥ずかしい。美那子のテンションは、まだまだ絶好調。とりあえず、美那子を黙らせなくてはならない。
「ねぇ、そうでしょ?そうだよねぇ?」
「はい、どうでもいいからあっちに行こうね。ほら、行くよ!」
騒ぐ美那子を無理矢理引っ張っていく。あぁ、恥ずかしい奴‥‥
 美那子を引っ張って、この場から立ち去ることだけに頭がいっぱいで、前をよく見ていなかった。そのため、前方にいた人にぶつかってしまった。
「すみません!」
慌てて謝り、顔を上げる。その時、その人と目が合った。きれいな人だと思った。でも、どことなく、冷たい感じがした。
 すると、『ふっ』とその人が微笑んだ。その瞬間、さっきまでの冷たい雰囲気が、穏やかなものになった。優しげな笑顔。そして、そのまま無言で通り過ぎて、行ってしまった。私も美那子も、その場にただ立ちすくむだけだった。後には、不思議な雰囲気だけが残っていた。歩くたびに、長い髪がサラサラとなびく。スカートがふんわりと揺れる。二十代前半くらいの大人びた雰囲気。オトナノ女‥‥



 あの人はどうしているのだろう?あれから何度か屋上には行ってみた。でも、一度も見かけなかった。そんなことを考えながら、雑誌のページを一枚めくった。
 夕方の百貨店は混雑していた。学生や主婦、仕事帰りの人‥‥様々な人が店内をうろついている。そんなざわめきの中で、俺は一人、雑誌を眺めていた。この雑誌コーナーもそろそろ人で溢れ始めている。不意に、右隣から手が伸び、雑誌を一つ持っていく。今度は、左隣から手が伸び、一つの雑誌を戻し、別の雑誌を掴んでいく。俺は、また一つページをめくる。
「陸!」
名前を呼ばれて振り返ると、友人の涼介がいた。
「遅い‥‥どこまで、トイレに行ってたんだよ」
「あぁごめん。それがさぁ、トイレがものすごく混んでて、やっとでてこれた‥‥ってわけ」
「‥‥どうせ、また迷ったんだろ?」
涼介が豪快に笑う。涼介の方向音痴はひどい。初めて行った場所では必ず迷う。一度行った場所でも大抵迷う。何度も行く場所でもなぜか迷う。ほぼ一本道でいける場所でさえ不思議と迷う。
「悪い。そろそろ行くか」
そう言って涼介が歩きだす。俺も雑誌を置いて後に続いた。その時、俺の目に一人の人が映った。あの人だ!屋上にいた女。一人で笑っていた女。寂しげな女。何となく、目で追ってしまう。不意にその人がこっちを見た。目が合った‥‥しばらく、そのままの状態で‥‥そらされてしまった。百貨店の中を歩いていく彼女の姿は、普通だ。屋上で一人が笑っていたなんて、想像もつかない。
「どうした?」
涼介の声に初めて我にかえる。
「ああ‥‥」
女は優雅に歩いていく。


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