「じゃあ、今から解散、各自で南と北と中央の校舎をそれぞれ見て回って、後で校門前に集合な?」
 夜、時間は7時。それぞれの手に懐中電灯を持って、僕達は肝試しの後の集合場所を決めると、一斉に校舎の中へ駆け出した。
「肝試しなんて、小学校の林間学校のとき以来だな」
 途中、北校舎に入るところまでは道が同じ正が、僕の隣でしみじみと言う。
「あの時は僕達6人が一つのグループだったよね」
「そうそう。お化け役の先生を朗がけとばしちゃって」
「あとで校長先生に怒られて正座させられたんだよね」
「そんなこともあったなあ」
 二人で笑いながら、北校舎の中に入る。
「じゃあな健、また後で」
「うん。じゃあね」
 軽く言葉を交わして、僕は正と別れ、一人きりで北校舎の中を歩くことになった。
 最初のうちはまだ正の足音が聞こえていたけど、それも聞こえなくなって、校舎の両側にある階段を上るころには、僕は完全に自分が一人であるような気がしてきた。
 そのときになって、ようやく僕の中に、怖いという気持ちが生まれてきた。怖いついでに、僕の頭の中に、色々な考えが渦巻き始める。
 こうやって懐中電灯の明かりを頼りに歩いていると、夜の学校は、昼間と比べるとまるで別世界だった。
 生徒や先生達の、人の気配というものがなくなるからだと良く言われているけれど、そんなに簡単に、昼間一日中在った物が無くなってしまうものだろうかと僕は思う。
 多分、夜の学校は気配がなくなるから怖いというのは違うのだろう。
 本当は、姿は消えても、気配だけが残ってしまうから、誰もいないのに誰かがいるような気がして怖いのだ。
 前に何かの本で読んだことがあるのだけれど、家というものは、そこに人が住んでいないと「死んで」しまうけれど、人がすむようになれば、また「生きて」くるらしい。そして、人が住んでいる家というものは、住人が一時留守にしていても、「生きて」いるままなのだそうだ。夜の学校に気配が「有る」のはきっと、そこが夜の間だけ住人のいなくなる、教師と生徒のもう一つの「生きた家」だからじゃないだろうか。夜の学校が怖いのはきっと、いないはずの住人の気配を閉じ込めた学校が、「生きて」いるから。
 懐中電灯を片手に、そんなことをボンヤリと考えながら、僕はまだ正と合流できずに、暗い北校舎の中を一人で歩いていた。
 僕と正は北校舎の担当だけど、僕達以外の皆はどうしているかというと、和也と朗が南校舎を、豊と秀一が中央校舎をたんとうして、それぞれ校舎の中を探検している。
 朗と和也は、多分怖い怖くないと言い合いながら歩いていることだろう。ああ見えて、朗は実はとても怖がりだから、ひょっとしたら泣いている朗と勝ち誇っている和也、なんて光景が繰り広げられていたりして。
 豊と秀一は、豊は無口で、逆に秀一は人一倍にぎやかな性格だけど、もともと幼稚園からの親友同士だと自他共に認めている二人だから、きっと仲良く歩いているような気がする。
 暗い廊下に、僕一人だけの足音が響く。どんなに耳を澄ませてみても、この北校舎の何処かにいるはずの正の足音は聞こえてこない。
 急に、僕はなんだか心細くなってきた。さっきまで小さかった怖いという思いも、どんどん大きくなってくる。昼間はむきになっていた朗がなんだか馬鹿らしかったけど、やっぱり僕も怖くて心細い。早く正と合流したかった。
 おどおどしながら、階段の下の方を懐中電灯で照らしてみた、その時だった。
「う」
 寸でのところで、僕は「うわあ」と叫びそうになったのを抑えた。
 懐中電灯の明かりの中に、いきなり真っ白な人影が現れたのだ。けれど、それはすぐに、真っ白なトレーナーを着ている正だとわかった。
「あれ、お前まだこんなところにいたのか?」
 そんな声が聞こえてきて、下の方から、正が僕の顔を懐中電灯で照らしてくる。まぶしい。
「おどかすなよ!もう」
 心臓がばくばく鳴っているのをなんとかごまかして、僕は慌てて階段を下りて正の横に並んだ。
「健が遅いんだよ。俺、もう一階と二階見て回った後だよ?」
 頭半分高いところから聞こえてくる正の声に、僕はわざと答えない。すると、正は僕の顔をじぃっと覗き込んできた。・・・って、なんだよ、そのにやついた顔は。
「ひょっとして、怖くて先に進めなかったのか?」
「別に」
 正が言ったことは実は図星だったけど、逆のことを言った僕に、正はまだなにか言いたそうな顔をしていたけれど、それ以上は何も言ってこなかった。
 僕達は、それからしばらくの間何も喋らずに、二人並んで歩いた。話したくない気分でもなかったけれど、特別話したいことも無かったし、わざわざ話してこの場を盛り上げたいとも思わなかったから。
 ふと、僕は、こうして正と二人きりで並んで歩いているのはこれが初めてのことなんだって気づいた。
 もともと僕達6人組は、小学校5年生からの付き合いで、それまではクラスがみんな別々だったことと、特に共通の趣味を持っているわけでもなかったので、皆結構バラバラだったような気がする。それでも、お互いぜんぜん知らない仲ってわけでもなくて、僕と朗は家が近所なので家族ぐるみで付き合いがあったし、正と和也は、もともと親戚づきあいをしていたし、正と豊は朗と同じ少年サッカーのクラブチームに所属していたので、前前から朗から話を聞いていた。それで、6人皆クラスが一緒になったのをきっかけに、気がついたときにはなんとなく、席が近かったり、理科の実験の班が一緒だったりと接点ができ始めていて、5年生の夏休みのころには、6人一緒につるむようになっていたのだ。
 そう考えてみると、なんだか人のつながりの不思議さを感じると同時に、やっぱり僕って、ちょっと流されやすい奴なのかもしれない、と思えてしまう。そう、僕は結局流されやすくって、ついでに人付き合いが苦手なのだ。5人も特定の友達がいることすら、本当を言うと奇跡みたいに思えてしょうがない。
 などと考え事をしていた僕は、隣を歩いている正の異変に気づかなかった。
「あのさ」
 正の声がしたとき、僕達は丁度、階段の踊り場にある鏡の前にきていた。
「何?」
 なにげなく訊いた僕の前で、正は立ち止まって、妙に歯切れが悪い口調で話を切り出した。
「幽霊って、自殺した生徒の幽霊なんだよな」
「?いきなり、なんだよ」
「うん・・・・」
 この時、明らかに正の様子はおかしかった。けれどその時の僕は、ちょっと変だな、という程度にしかそれに気づいていなかった。
「どうかしたのか正?言ってみろよ」
 僕はこの時、珍しくおどおどした様子の正を見て、なんだ正だって怖いんじゃないかと思っていた。調子に乗っていたのだ。だから、正がこれから何を言おうとしているかなんて、全く考えていなかった。
「自殺した、生徒って、さ」
 鏡に映った正の横顔が、不自然に引きつっていた。
「それって、な、多分、俺のいとこのことなんだ」
「ただ・・・し?」
 いきなり何を言い出すのだろう。不思議に思う僕の前で、正は一人、喋りつづける。
「あれはもうずっと前、まだ俺が小学生になる前のことだった。卒業式の直前に、ここの、北校舎の屋上から飛び降りたんだ。遺書とかも残っていなくて、当時は皆首を傾げてた」
「正?なあ、何言ってんだよ、やめろよ」
 僕は止めようとしたけれど、正は話をやめようとしなかった。
「きっとさ、怖かったんだよ、大人になりたくなかったんだ、この学校を離れていくのが嫌で、ずっと学校と一緒にいたかったんだ。だからあの時、立ち入り禁止の屋上に忍び込んで、校庭が見える校舎の縁まで行った。風が顔にぶつかってきて、怖かったけど、これでずっと学校にいても良いんだって―」
 おかしい。僕はそのときになってやっと、正がおかしくなってることに気づいた。
 一体いつから様子がおかしかったのか、それはわからない。けれど、今ここで正を止めなければいけないと思い、僕は必死になって正の肩を揺さぶった。
「正?ただし!お前何言ってんだよ、おかしいよ!なんでそんなこと知って」
 ・・・・・・・・・・・・え?
 不意に僕は、正の肩を揺さぶりながら、何かがおかしいことに気づいた。正の様子だけじゃなくて、何か、現実にはありえないものが在るような、そんな気がする。
 心臓が、急にバクバクと高鳴りだす。
 僕は、加速する、怖いという気持ちを抑えて、一度改めて、自分の周りを良く見てみた。
 僕の前に、ボンヤリとした目で、何も言わなくなった正がいる。正は踊り場にある鏡に背を向けている。鏡の中には、僕と正の顔が映っている。
 ・・・・・・・・・・・・正の、顔?
 恐怖が、僕の仲で最高潮に達した。どうして、という気持ちで心の中がいっぱいになる。
 どうして僕と向かい合わせて立っている正の顔が鏡に映っているんだ?
「ただし!ただし!なあ、何とか言えよ!なあ、正ってば!」
 僕は前以上に必死になって正の肩を揺さぶった。揺さぶっているときに、思わず鏡の中の正の顔とまともに目を合わせてしまう。
 鏡の中の正が、にたあっと笑った。
「・・・・・・・・・・・・!」
 それは、今まで全く見たことの無い正の顔だった。いや、あれは正じゃない。正の顔をしたぜんぜん違うものだ。和也が朗に見せたがっていた学校に出る自殺者の幽霊だ!
 ・・・・・・・・・・・・・・・オイデ・・・・・・・・・・・・・・・
 鏡の中の、正の口がそういったのが見えた。その手がゆっくりと、鏡の外の、正の肩に、正の肩の上におかれている僕の手に伸ばされる。
「うわああああああああああああああああああああああああああっ!」
 その時僕は、生まれて初めてじゃないかって思うくらいの大声で叫んでいた。
 無我夢中で正を鏡から引き剥がすと、鏡から半分抜け出て、さっきまで正がいた場所を虚しく引っかいている白い手が見えた。
 僕は、もう言葉ですらない声で、わけのわからないことを叫んで、正が持っていた懐中電灯を、鏡に向かって思い切り投げつけていた。
 がしゃんとか、パキーンとかいう、ガラスを割ったときに聞こえる音はしなかった。そのかわり、耳がキーンとなるあの感覚が僕を襲って、僕と正は、急に無くなった床から、まっさかさまに落下していた。


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