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「どうして、死のうだなんて思ったの?」
連れて行かれたマンションの一室、二十歳の女が一人で住むには少し広いリビングで、玲二は双葉の手からコーヒーを受け取る。
蛍光灯の下で見る双葉は、二十歳と言う年齢の割には、玲二よりも年上に見えた。
「・・・聞いてどうするんだよ?」
「カウンセリングの初歩よ。悩みを持っている人の殆どはね、話し相手に向かって一回悩み吐き出しちゃえば楽になるんだって」
コーヒーの湯気の向こう、嫌味にならない程度に赤い唇をした女が微笑んでいる。
女の笑顔は嫌いなはずなのに、双葉の笑顔は、そうでもない。
「・・・同情でもしてくれるのか?」
その口から出た皮肉に、双葉は、笑いながら、こう言い返す。
「悩みを口にして同情されるってのは、あんたが思ってるよりも幸せな事なのよ」
玲二は、双葉の言葉の奇妙な言い回しに、そのときは首を傾げるだけだった。
玲二の恋人が死んだのは、一週間前。
仕事からの帰りに、交通事故にあって、即死だった。
それを玲二が知らされたのは、その日の夕方。
彼は一人で、恋人が帰ってくるのを待っていた。
知らない病院から、突然の電話。
教えられた病院に駆けつけた玲二が辿り着いたのは、霊安室の扉の前。
触れたドアノブが冷たかったこと、暗い部屋の中で、恋人の顔がまるで眠っているようだったこと。医者や警察が、何を話しているのかは理解できなかったけれど、それだけがはっきりと、玲二の脳裏には焼きついている。
「葬式とか、何もかも終わった後にさ、あの人の家族が一晩だけ、二人っきりにさせてくれた。勿論、そのときには骨壷の中だけどさ。・・・人間って、燃やすとあんなに小さくなるんだなって思って、一晩ずっと、箱の中に入ったあの人を眺めてた」
膝を抱えて、淡々と話している玲二を、双葉はずっと黙って見つめていた。
「それが、丁度三日ぐらい前の話・・・かな?記憶曖昧でよくわかんねえけど」
口をつけないまま、結局テーブルの上に置かれたままのコーヒーをじっと見つめる玲二の頬を、涙が一筋伝っていく。
「このまま生きていても、俺はあの人の事吹っ切れる自身なんてねえし、それに、あの人の家族は結局あの人が生きてる頃から認めてはくれなかったし。だから、良くわかんないまま地下鉄でこの街に来た。あの人と暮らした町で死ぬのは嫌だった。でも、あんたの車の前に飛び出したのは、あの人と同じ死に方で死にたかったからで、でも死ねなかった。情けないけどな」
自嘲の笑いをこぼす玲二に、そこで始めて双葉が口を開いた。
「・・・結構重い話よね。あたしは、そんな経験した事も無いわ」
「そりゃ、普通ねえだろ」
「それもそうねぇ」
玲二の言葉に頷くと、双葉は、また少し微笑む。
よく笑う女だと思いながら、玲二も、つられて笑う。
「変な女だな、あんた」
変な女と言われた双葉は、けれど嫌な顔をせず、片方の眉を器用に上げるだけだった。
「良く言われるわ。店の中じゃ、割と猫被ってるけど」
「店?あんた二十歳じゃなかったっけ?水商売?」
「そう、半年前から働いてる新米ホステス」
まだまだ駆け出しよと言う双葉からは、車に乗ったときと同じ、甘い香りがする。
少し苦味のある、けれど懐かしい甘味を感じるそれがなんなのか、玲二は正確にはわからなかった。
バニラエッセンスだろうか、と思ったが、それにしてはおかしいと思う。
店から帰る途中のホステスの車から、酒の匂いならともかく、何故バニラエッセンスの香りがするのか。
上着には確かに酒の匂いがしていたのに。
尋ねるのは面倒くさかったので、玲二はその理由を訊こうとはしない。
もともと通りすがりに出会ったのだから、細かい詮索などする必要も無いのだ。
自分自身にそう言い聞かせながら、玲二はコーヒーを飲み干す。
苦いはずのコーヒーに、何処となくバニラの香りがしたような気がした。
「ところでさ、あんたさっき言ったよな?」
「うん?」
「同情されるのは幸せだって」
「・・・・言ったわね」
「どうして、あんな事言ったんだ?」
「・・・・・・」
玲二の問い掛けに、双葉はコーヒーのカップを両手で包み込むように持ち、しばらくの間何も言わずに、その手元を眺めていた。だが、やがてその口から、こんな話がこぼれ始める。
「例え話・・・・自分で物凄くやる気出して挑んで、それで失敗して泣きそうになった時に、周囲に同情されるんじゃなくて、蔑まれたりしたら、それはとても苦しくて悔しくて、悲しい事だと思うの。だから、本当に辛い時は、誰か一人でもいい、辛い思いしてる人に、同情の言葉一つでも投げかけてあげれば、良いような気がする」
「それって、体験談?」
「・・・・例えばの話よ」
そう言って玲二に笑いかけた双葉は、その一瞬だけ、歳相応の二十歳の女の子に見えた。
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