「ショータ君、おはよ」
 声をかけてきたのはクラスメイトのミクちゃんだった。僕のうちの近所に住んでる幼馴染の女の子。ちなみに、ショータってのは僕の名前。フルネームは日下翔太っていう。
「あ、ミクちゃん。おはよう」
 ミクちゃん、いつもよりにこにこしてる。なにかいいことあったのかな?
「ね。ショータくんち、犬飼始めたんだって?」
「うわ」
 …しゃべったのは母さんなんだろうな。じゃなきゃ、知ってるはずがない。
「うわってなーに?ねーねー、どんな犬なの?かわいい?かわいい?」
 僕には答えようがない。だって、犬じゃなくってドラゴンなんだ、なんていえないじゃないか。僕までおかしいみたいには思われたくない。
「えっと…ね」
 困った僕を助けるかのように、後ろから名前を呼ばれた。
「よ、ショータ」
「おぅ、サトル」
 サトルも僕のクラスメイト。彼は幼馴染じゃあないけどもすごくいい奴だ。でも、好奇心が強すぎるとこが玉にキズ。知らなくてもいいことまで知りたがる。
「お前んち、犬飼い始めたって?」
 …誰も僕の味方はいないのか?ていうか、なんでお前が知ってるんだっ!こっそりこころの中でツッコミを試みる僕。
「い、いや…その…」
 僕は答えることができない。それもそうだって。あれのどこが犬だって言うんだよ。とりあえず、疑問に思ってることを訊いてみることにした。
「なぁ、なんでみんな犬のこと、知ってんの?」
 ミクちゃんが笑顔で答える。
「うん、ショータくんちのおかーさんが教えてくれたのー」
 語尾にハートマークでもとんでそうな雰囲気。
「で、サトルは?」
「あ、俺はね。昨日ミクちゃんから聞いた」
「えっとねー、今日の帰りショータくんちによって犬見ようって話してたのー」
 ものすごく楽しそうにミクちゃんは語る。
 昨日って昨日あいつ、うちに来たとこなんですけどー?やはし僕をほっといて勝手に話が進んでるようだった。二人は既にそのつもり満々。そしてもう僕には彼らを止めるような気力は残されていない。話は決まってしまったようだった。変更できない事態が存在するなんてそんなのありなんだろうか?

 僕はその日の授業をどうやって受けたのか、全く覚えていない。何回か先生にボーっとするなよって注意受けてたらしいけど、それすらも僕の耳には入っていなかった。こどもにだってつらい時はあるんだよ、先生。
 ついに放課後がやってきてしまった。逃げようにも逃げられるわけがない。ミクちゃんちは近所なんだから。サトルには僕の行動は読まれているし。
 おわりの会を終え、先生が教室を出て行った瞬間、ミクちゃんが僕のそばにやってきた。予想通り。どうしても犬が見たいらしい。犬じゃないのに。さらにサトルまでやってくる。こいつに見せたら何をされるか…。あきらめて教室を出て下駄箱に歩いていく。廊下を歩いていると両脇を固められてしまった。連行される人みたいじゃないか…。どうしてここまでされなきゃいけないんだろう?
 家に着くまでの足取りは重い。だって、秘密にしてようと思ってたんだ。誰にも言いたくなかったんだ。犬ならよかった。でも違うんだ、ドラゴンなんだ。そんなこと言っても信じてくれるわけないじゃないか。最近のこどもは変なとこで冷めてるから。お前が言うなって?はぁ。ためいきしか出ない。ためいきをつくたび、幸せが逃げるっていうけど幸せってなんなんだろうな…。

 家についた。一歩前に出て玄関のドアを開ける。すると、いきなり奴がいた。ドアを開けっ放しだったからうしろにいた二人にも見えたはず。隠そうとした僕の努力なんかお構いなし。奴は、二人に愛想を振り撒く。
「きゃー」
 悲鳴をあげるミクちゃん。でもどこか嬉しそうなんだけど?
「かわいい〜」
 …マジですか?この緑色のちっちゃくて訳のわからない物体がかわいいんですか?一方、サトルの方は…あ、だめだ、この人。自分の世界に入っちゃった。何かぶつぶつ言っている。新種発見って…。まぁそんな見方もできないではないけど…じゃなくて。サトルはサトルでこの正体不明の緑色を気に入ったようだった。僕の反応がヘンなんだろうか?
 とりあえず、ここじゃなんだし。玄関でぼーっとつったってたってしょうがない。家にあがってもらうことにした。きっと母さんは突然の来客にも喜ぶことだろう。あの人はそんな人だ。
「ただいまー。お客さん連れてきたよー」
 母さんを呼んでいる間も、あいつは来客にじゃれついている。くんくんにおいをかいで手をぺろぺろとなめる。ほんとに感じ的には犬なんだけどね。少しほほえましい気持ちで見ていた自分自身の存在に気付き、僕は苦笑した。僕まで環境に順応してしまってどうするんだ…
 母さんはお客様をリビングに通し、お茶やお菓子を用意する。こういうのがすごく好きなんだよね。
「ぽちにはコレね」
と言って、あいつには犬用のビスケットを与えている。
「お菓子はあげないでね。病気になりやすくなっちゃうから」
 やはり犬扱い。みんなは楽しそうに話してるけど、僕はその輪に入っていくことはできなかった。話題はぜんぜん違うはずなのに何故か会話が噛み合っているというおかしな状態だったし。そんな僕の様子に、あいつは心配そうに僕を見上げてくる。あいつの双黒の瞳に僕のこころが映し出されているようだった。僕は戦慄をおぼえた。どうしてみんな、こいつの恐ろしさに気付かないのだ?
 もう僕の耳には誰のことばも届いていなかった。蒸し暑いほどだというのに僕は少し震えていた。
 そのまま、晩ご飯の用意をしなきゃいけない時間になっていた。ミクちゃんとサトルがいつ帰ったなんて覚えていない。母さんが言うには、ちゃんと見送りまでしてたってことなんだけど。そのときの僕は、ドラゴンという「恐怖」そのものへの意識しかなかった。


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