芳人と秀信はものすごく仲の良い兄弟だった。
 それは、必然だったのかもしれない。
 ふたりの両親は、余り家庭を顧みない人達だった。虐待していたわけでもなく、むしろお菓子や玩具はあふれるほど与えてはいた。しかし、ものを与えるだけが愛情と思っていたらしく、それだけ与えるだけで、かれらは自分の生活を一番にしていた。
 そのせいか、兄弟の繋がりはとても固いものとなっていった。
 欠落した愛情を埋め合わせる為の反応だったのかもしれないが、秀信が物心ついて以来ずっと仲良くやってきた。
 ・・・つもりだった。
 ただ、もしかすると芳人は秀信を信愛していると同時に憎んでいたのかもしれない。
 その日は・・・芳人が死んだ日は、小雨の降りしきる日だった。
 なぜか、その日は・・・その日だけは居間で秀信と両親が仲良さそうに話していた、笑っていた。
 そこにあったのは『幸せな家族像』で。
 しかし、そこには自分は居なくて。
 たったそれだけのことだったのだが、何か酷く裏切られたような気がした。もう、何処にも居場所が無いような気がした。
 絶望のまま、ふらふらと芳人は自室に戻った。
 右手にはペットボトル、左手にはもてるだけ総ての睡眠薬の瓶を持って。
 ベッドに倒れこみ、そのまま何も考えずに全てを飲み干した・・・。

「・・・原因は、あなた、なのでしょうね」
 尚もユウは追い討ちをかける。そんな事、分かりきっていた。仲の良かった兄弟、そこにしか無い繋がりをなくしてしまったのだから自分も・・・と考えてもおかしくはないだろう。
 そして、その揺らぐこころを『死』へと決定付ける要因を持っているのは他ならぬ兄の芳人なのだ。
「・・・ああ。・・・俺・・・は・・・」
 どうしたらいい?
 望むもの――『死』を、自分が辿った逃げ道を与えるのがいいのか、望まざるもの――『生』を、自分が逃げざるを得なかった辛い現実の中で生きていくようにさせるのがいいのか。簡単に与えられるのは前者だ。後者は、逃げてしまった芳人がどうこう言うのは差し出がましいのかもしれないが。
 自分が秀信の立場なら前者を選ぶだろう。そして実際選んだ。
 しかし、兄芳人の立場でならば後者を選んで欲しい。生きていて、欲しいのだ。
「早くしなさい、『死にたい』と思うことがどれ程辛いかあなたも知っているでしょう?」
 天使の囁きが、悪魔の囁きのようだ。
 そう、知っている。だからこそ・・・。
 芳人は鎌を振り翳す。まっすぐ、目標に向って。
「!」
 鎌は目標を貫いた。
 薬の瓶が真っ二つに割れて、ばらばらと睡眠薬が散らばる。
「なん・・・で・・・?」
 秀信は信じられないといった様子で散らばった薬を見た。手も触れず、いや、何もしていないのに瓶が割れたのだから当然だ。
「・・・兄・・・さん・・・?」
 ひとは信じられないことがあれば、『霊』や見えないものの所為にする。そうしないと、精神が持たないのだ。秀信もそんな気持ちなのだろう。
 だが、ちかくにいる芳人にしてみれば自分を感じてもらったようで嬉しい。そして、また僅かな可能性があるのかもしれないとも思えてくる。
 つたえたいことがある。
 つたえなければならないことが、ある。
「秀信・・・おまえは・・・」
「兄さんなの?」
 声が伝わったのか、ただそこに居るのかもしれないと思っただけなのかは分からないが、秀信は聞き返した。
 少し安堵した様子で先を続けようとする、芳人。
「・・・おまえは・・・!」
 しかし。
 つよい力で手を引っ張られる。芳人の腕をユウが引っ張ったのだった。そのまま、部屋、そして実家から引き離される。
 言葉は未完成のまま残った。
 しかし、秀信は少なくとも暫くは死のうとは考えないだろう。思い込みでも誰よりも信頼していた兄が見ていると思えば出来ないだろうから。
 そう、思えるのが救いだ。
 そう思い、本当に安心した表情の芳人に対し、ユウは初めて厳しい表情をしたままで手を握り締め、飛んでいる。
 生活していた現実感の在る空間から、光の空間を抜け、真っ白な世界に引き戻される。
「どうして・・・殺さなかったんです?」
 ユウは目も合わせず、言い放った。
「・・・・・・」
「自己満足じゃないですか?死んで欲しくなかっただけなんでしょう?秀信君は苦しくて、逃げたかったのに、そうさせなかったのは酷いことではないのですか?」
 断罪するように捲くし立て一気に言う。
「それでも・・・」
 たっぷり間を置いて、芳人は話し始めた。
「・・・逃げてもこんなに苦しい。あいつも、死んだらまた誰かの命を絶つ仕事の手伝いをしなきゃいけないんだろ?」
「・・・ええ」
「あいつが・・・自分の所為でって思って苦しんで死んだとして、・・・死んだ後また誰かを・・・ってそんなのさせられない、させたく、ない」
「それは・・・言い訳でしかないでしょう?」
「・・・まあね。でも・・・これも仮定になるかな?・・・でも、今・・・あの家見て、思ったんだ。居場所は・・・ないって思うからないんじゃないかって。だから、あいつには見つけて欲しいから」
 自分の住んでいた家を見てそう思った。
 そこは自分が居た頃と何も変わっていなかった。相変わらず両親は家には居ないし、生活感がないほど片付いていた。スリッパの数も、食器の数もそして芳人の部屋も何ひとつ変わっていない。
 生前は見たこともない両親の部屋に入って、上から部屋を見下ろして、気付いた。両親の部屋にはちゃんと芳人と秀信のちいさい時の写真が飾られていて、なくしてしまったと思っていたアルバムも綺麗に整頓されていた。また、日当たりのいい部屋は兄弟の方にまわしていたようだった。
 『居場所』は最初から、ここにずっとあったのかもしれない、と思えてきたのだ。もしかするとただの幻想かもしれないけど、死んで始めて分かった・・・ような気がした。
 だから、秀信に賭けてみようと思った。辛いだけの世界なら、逃げ道を作るのが愛情かと思っていたけれど、可能性があるなら見つけて欲しい。
 そう、ユウの言う通り自己満足かもしれないけれど。
 短い沈黙、そして。
「あはははははははっ」
 ユウが爆笑している。
 芳人は一瞬あっけにとられた。しかし、失礼な、と言わんばかりの顔でユウの顔を見返す。そうしたら、それまでの微笑みとは全く違う素の顔をしているのが見えた。
「あ、悪い悪い。でも・・・そっか・・・」
 口調まで変わっている。もしかしたら、こちらの方が元々のユウなのかもしれない。無理して、天使らしく振舞っていたのかもしれない。
「何だよ?」
 ユウの口調が変わった所為か、芳人も話しやすくなったようだ。気軽な口を利いている。
「いや、でも俺は・・・死なせてあげるのが最善の事だと思った。・・・だから・・・」
「だから・・・?」
「そう、君と正反対のことをした」
 はっきりとした、告白。その続きはこのようなものだった。


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