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「ん…あ、朝…寝過ごしちゃったかなぁ」
麗は枕もとに置いてあるはずの目覚し時計に手を伸ばす。寝過ごした、といっても今日は休暇を取っているので仕事に遅れる、という事はないのだが。
「ね、朝ご飯どうす…」
麗が隣に居るであろう一葵の方に目をやると、そこには彼は居なかった。ただの、血と肉が大量にあるだけ。そして、枕もとには凶器と思しきモノ。ソレが何を意味するのか麗が理解するまでかなりの時間がかかった。
「うわあああああっ!」
彼女が警察に通報するだけの余裕が出来るまでは、また、時間必要となった。
「は?」
そう問う彼女の気持ちも分からなくないのか、警官はもう一度、同じことばを繰り返した。
「…あなたが、菱川一葵を…夫を殺したんじゃないのですか?菱川麗さん?」
そういう根拠はあった。彼らの家は金持ちの家らしく、セキュリティも完璧であった。しかし、その日に限って総てが外してあったのだ。そして、凶器からは麗の指紋。疑うべき要素は、そろっている。
「そんな事は…」
ことばに詰まる、麗。もちろんその様子を見逃すこともなく・・・。
『若社長菱川一葵殺人事件、犯人は妻の菱川麗』
そんな記事が間もなくして街に広がっていった。
そして、数ヶ月が過ぎる。
皆がこの事件を忘れたころに、進展があった。
『若社長菱川一葵殺人事件、犯人とされていた妻の菱川麗冤罪。真犯人静海啓志自首』
もちろんこの話題は、ワイドショーの絶好のネタになった。
暗い部屋の中で啓志は素直に取り調べに応じていた。しかし、自分がやった、ということははっきり断言したが、その動機は曖昧なことしか言わなかった。
「ただ、殺してやりたかった」
彼は、そうくり返すだけ。
しかし、犯行そのものに関しては外部に発表していないような正確なことまで自供したので、犯人は啓志である、と断定せざるを得なかった。
灰色の壁に囲まれた狭い世界。
そこにしか居場所が無いことは自分自身が一番良く知っていた。
捕まった事は、後悔していない。もちろん、あの男を殺した事も。
罪を償えば、こんな場所から出られるのだから。
罪?何が罪なのだろうか。
俺は何も後悔してはいない。あの女、麗を身代わりにしたことさえも、仕方がないと思っている。
あいつは・・・
仕事から帰った俺の目の前には血の海。
その日、全てを奪われた。妻、子供、帰る場所、全て。
しばらくして、俺の友人が逮捕された。そして、この惨劇は一応の終息を得る。
犯人であり友人の龍耶を恨みもした。殺してやりたい、と思った。しかし、龍耶は自殺してしまった。これで俺にはどうすることもできなくなった。
しかし、事実はそうでなかった。
彼もまた、被害者だったのだ。
菱川一葵が自らの凶行を隠すために、権力をかさに龍耶を身代わりとしたのを知ったのは、一通の手紙のおかげだった。差出人不明、脅迫状じみた内容、なにひとつ信用すべき事の無いようなそれは、しかし、妙な説得力があった。もしかしたら、と思い、それに添付されていた証拠の数々を検証していくうちに事実は明らかになっていった。
一葵は妻に思いを寄せていて、拒絶されたがためにストーカー行為を行なっていたらしい。幾度となく話し合いを行なっていたようだ。…妻、は。妻は彼に心配をかけないように、何も話してはいなかったのだ。
何ひとつ、してやれなかった。
彼が仕事から帰ると総てが終わっていた。なにもかもなくなっていた。彼はばらばらになった『家族』を抱いて、泣いた。
…思い出す。あの日の苦しみを。憎しみを。
いつか、一葵に復讐してやる。
そう誓って生きていくことを、決めた。
一葵とその妻麗の結婚一周年記念日の日、啓志は彼らの家に向った。手袋をした手には彼の家族を奪った凶器と同形のものを握り締めて。
寝静まったであろう時間を見計らい、侵入。若干の時間を要したが、比較的すんなりと主寝室を発見できた。そこで平和に寝ている男女。
…さあ、はじめよう。
一葵以外は殺すつもりは無い。用意してきたクロロホルムでふたりをふかく眠らせた。
そして、刺す。
総ての感情を込めて。ふかく、ふかく。
どれだけの時間が過ぎただろうか。目の前にはヒトとはいえないものが横たわっていた。
ああ、これで終わったのだ。
凶器をふたり(?)の間に置き、啓志はその場を後にした。
暫くの間、麗に身代わりとなってもらおう。
そう考えていたのだった。
逮捕されれば長い間外には出られないだろう。それまでに、しておきたいことがあった。身辺整理(これはほとんど終わっていたが)、家族の墓の整理、そして、報告。
そして、家族の命日の日に彼は自首をした。