体育の時間。あたしは保健室に運ばれてしまった。貧血だった。朝ご飯抜いたのに、マラソンなんて参加したから。普段のあたしならそんなこと考えられない。お姉ちゃんじゃあるまいし。
 うちのお姉ちゃんは身体がすごく弱いってわけじゃないけど、ずっと大事にされてきた。小学生の頃、一週間近く昏睡状態に陥ったことがあるからだ。お医者さんにも原因はわからなかったんだって。お姉ちゃんは、そのとき毎日お見舞いに来てくれてた幼馴染の日下さんと結婚して「日下未来」になった。お姉ちゃんは幸せ者だと思う。だって、ずっと好きだった人と結婚できたんだもん。
 そういえば、そのときにもう一人お見舞いに来てくれてた人がいたんだよね。お姉ちゃんたちの挙式にも顔出してたはずなんだけど、眼鏡かけててお医者さんだったってことしか覚えてない。
 寝かされている間、あたしはなぜかそういうことを思い出していた。


「…気がついた?」
 保健の椿先生が顔を覗き込んでくる。正直、あたしは他人に顔を覗き込まれるのは好きじゃない。それにこの人、どこかとっつきにくい雰囲気あるし…。
 ほんとはもう少し前に意識はっきりしてたんだけど。あたしは、「だいじょうぶです」とだけ答えて、ふとんにもぐる。
 部屋に先生以外の人がいるような気がする。関係ないかもしれないけど、人見知りがひどいせいか、あたしにはなんとなくわかってしまうのだ。できれば先生にも早く出て行ってほしいって思ってるくらい。なのに、その人物はあたしに話し掛けてきたのだった。


「日向葵ちゃんて、未来ちゃんの妹さん、だよね?」
「へ?」
 へんな声を出してしまってたと思う。だって、いきなり知らない人にお姉ちゃんの名前を尋ねられるなんて思わないでしょ?
 ふとんから顔を出して固まってしまっていたあたしに彼は微笑んだ。一瞬、その笑顔が曇ったように感じたのだけど、きっとあたしの気のせいだろう。
「やっぱりそうだ。こんにちは、久しぶりだね。葵ちゃん。」
 そう、彼だ。お姉ちゃんの友達。眼鏡をかけたお医者さん。名前は…たしか樟さん、樟悟さん。
「僕のこと、覚えてない?」
 いたずらっぽく、あたしの顔を覗き込んでくる。何故だろう、あまり嫌じゃない。
「樟さん、でしたっけ?お姉ちゃんの結婚式でもお会いしましたよね」
「うん、新郎新婦の小学校時代からのご友人って奴だからね」
「あらぁ、樟くんてば、高校生に手だす気ぃ?」
 椿先生がからんでくる。面白くないのかな?
「不思議そうな顔してるわね、日向さん。私と樟くんの関係、知りたい?」
 腕まで組んじゃって。明らかにあたしをからかってる口調だ。樟さんは慌てて腕を振り払った。
「ばか。こいつとは大学のサークルで一緒だっただけ。診療が休みのときにたまにここに顔出すんだよ。僕は一応、カウンセラーの資格ももってるから、先生方の愚痴を聞いたりとかね」
「ちぇ。面白い反応してくれると思ったのに」
 …先生がそれでいいのかな?
「あ。先生がそんなのでいいの、って思ったでしょぉ?」
「……」
 あたしは何も答えることが出来なかった。だってその通りだったんだもの。
「ほーら、当たった♪」
「だから、どうしたっていうんだ。お前の馬鹿さ加減に呆れてるんだよ、葵ちゃんは」
「ひどぉーい」
 そう言ってむくれる椿先生。普段は見せないこどもっぽさ。他人には見せない部分。樟さんの前だからそうなのかな?そう思うと、どうしてかこころがちくん、と痛んだ。
 あとから思えば、それが始まりだったのかもしれない。


← Back    Next →