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あたしはしばらくそのまま横になっていた。樟さんと椿先生の会話を聞きながら。貧血はましになってきてたんだけど、なんとなくその場を離れたくなかったから。その理由は、そのときのあたしにはわからなかった。
「それじゃあ、僕はそろそろ帰るかな」
樟さんが、部屋を出ようと腰を浮かせたちょうどその時、終業を告げるチャイムが鳴った。 そして、椿先生は思い出したように言った。
「あ。授業終わりみたいね。担任の先生には連絡してあるから、友達が荷物と着替え持ってきてくれるはずよ」
「はい、ありがとうございます」
樟さんが帰ってしまう。あたしはそのことで頭がいっぱいだった。それがわかっているかのように、樟さんは、帰る間際、あたしに名刺を渡してこう言った。
「ごめんね、送ってあげたいところなんだけどちょっと用事があるんだ。僕のオフィス、ここから近いからいつでも遊びに来て」
あたしはこくりと頷いたのだった。あたしにも不思議なくらい素直に。
あたしが、初めて樟さんの診療室へ遊びに行ったのはその数日後のことだった。学校から近いということは、あたしの家からも近いということだ。そこは、遊びに行こうと思えば、いつでも遊びに行ける距離にある。しかし、すぐに行くというのは何か違うような気がしていた。
あたしは、一大決心をしてドアを開けた。薄いグリーンの壁紙、適度に明るい照明。居心地のいい空間。それが彼の職場だった。
あたしは、彼が精神科医であることに驚きはしていたが違和感は感じなかった。むしろ、彼にぴったりだと思った。話し方はえらそうじゃないし、きちんと話もきいてくれそうだ。医者としての威厳はないかもしれないけど、カウンセラーには向いてるんじゃないだろうか。実際カウンセラーの資格ももっているそうだし。
「あ、いらっしゃい」
そのまま、ぼーっと立ち尽くしていたあたしを見つけてくれたのは樟さんだった。
「樟さん、こんにちは。…来ちゃいました」
「いらっしゃい。よく来たね。お待ちしていました」
丁寧に迎え入れてくれる。
「ここの診療室、午後から休診だから結構時間がとれたりするんだ」なんて言いながら。
あたし達は応接室でゆっくりお茶を飲んでいた。やはり彼は聞き上手だ。あたしの悩みなんかもするする引き出してしまう。しかも、きちんとまとめてくれる。それで、あたしは何に悩んでいたのかを初めて知ったりした。
あたしは、家ではいつもお姉ちゃんと比べられていた。お姉ちゃんみたいじゃないと、いけないみたいに言われていた。あたしはあたしではだめみたいに。あたしはあたしにコンプレックスをもっていた。
でも、樟さんは違うの。あたしはあたしでいいって、そのままのあたしでいいって言ってくれた。今まで付き合ってきた男の子にもそう言われたことはあったけど、それは正しいんだって思えなかった。彼の言葉だから、こころに響いてきたんだと思う。
「あたし、お姉ちゃんにそっくり?」
そう聞いて、彼の答えを待つ。
「見た目は似てるけど、葵ちゃんは葵ちゃんだよ」
その言葉が欲しくて、あたしは何回も診療室へ足を運ぶことになる。