5
名前も知らない彼は言った。
「ボクは葵のパーソナル。いわば影の部分ね。葵の好きじゃない『葵』なんだよ。」
「あなたはある組織のシステム動作実験のサンプルだった、というわけ。ちなみに私も研究員としてプロジェクトに参加しているわ。勿論、樟くんもね」
椿先生は簡単に言う。そんなのわからないわよぉ。
「嘘だよね。嘘だって言ってよ、悟くん!」
悟くんは何も答えなかった。それが答えだった。
椿先生が説明してくれた。
この計画は「サンプルを『本体』と『パーソナル(影)』に分割し、空間安定システム(難しい名前がついてたけど、あたしにはわからなかった)によって空間を安定させ、精神を病んだクライアントを治療しよう」というものなんだって。
パーソナルっていうのは、人間の隠れた人格のひとつを空間を捻じ曲げてしまって、その存在する空間から連れてきているようなもの。簡単に言うと、人のもう一つの人格を実体化させてしまったもの。
システムの存在意義っていうのは、この世界を安定させること。本体とパーソナルに分割しちゃったら、同一人物がそこにいることになる。同一人物が同一平面上に存在するなんてことはありえないことだから、世界が再構成されちゃって、あたしたちが生活している世界じゃない世界になってしまうのを防ぐってことらしいんだけど。
すごく噛み砕いて言うと、「あたしに『あたしのキライなもうひとりのあたし』と会わせて、それでいいんだって納得してもらおう」ってことみたい。
「でも、ちょっと待って。もし、それを違う方法で使うなら。クローン人間で言われてる問題みたいに、本体が弱ってきたら臓器を取り替えるなんてことができたりしちゃうんじゃ…」
「それも理論上では可能ね。人格をそのまま実体化させたモノだから、一人の人間を創り出したとも言えるわ」
「それって問題なんじゃあ…」
そういうあたしに、椿先生は言った。
「あなた、まだわからないの?」
「何を…」
「どうして、樟くんがリスクを負ってまであなたを治療しようとしたかってことよ!失敗したら学会を永久追放されるのよ?!」
あたし、そこまで思いが及ばなかった。だって、いきなりわけのわからないことを言われたら、誰だってわからなくなるじゃない!
「大丈夫、もう大丈夫だから」
悟くんはそう言って、取り乱すあたしの背中をぽんぽんと叩いてくれた。何が大丈夫なのかはわからなかったけど、悟くんがいうんだから大丈夫だって思えた。
「葵ちゃんは葵ちゃんのままでいいんだよ」
いつもの台詞に、あたしは何もわからなかったけど、頷いていた。俯いたあたしの頬を一本の筋が伝った。
あたしはきっとこの人が好きなんだ、そう思った。
「治療は成功だ。何も心配しなくていいよ」